インク壺から

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「マックス・フライシャー アニメーションの天才的変革者」
(リチャード・フライシャー著、田栗美奈子訳 作品社)という本を読んだ。
風刺漫画家としてスタート、
1920~30年代にかけヒットを連発してアニメーションを革新していった、
しかしその業績はウォルト・ディズニーの栄光の陰にかすみ、さらに
大手パラマウント社にほぼ息の根を止められた、マックス・フライシャーの伝記。
マックスには作品だけじゃなく、必要から生まれたいろんな発明もあって、
それがアニメーションを制作する装置(ロトスコープ、1915年頃)だったり、
サイレント末期には、今うたう歌詞の上をはねるバウンシング・ボールだったり。
さらに白黒からカラーに、という時代を切り抜けて…
読んでいると、メディアがきりなく新しくなっていく今の状況と重ねてしまう。
MacOS9.2はもう古いとかどころじゃない、すごく昔の話なんだけど。

前書きで「アニメーション界における無名の英雄」と書かれてしまっているが
それはディズニーと対比してのことなのだが、マックス・フライシャーは
ベティ・ブープを生み出し、ポパイのアニメ化を手掛けたことなどで、
とても無名とはいえない。
でもどこか異端のような、とにかくもう昔々に本流からは消えた、というイメージを
ぼくは勝手にもっていて、それが、この本を読むとまず異端ではぜんぜんなくて、
大手の思惑で消えさせられたに近い事情があったことを知った。
知った、といえば
ぼくはカバーの書名と、著者名を一緒に目にして、はあ!…フライシャー。
「トラ・トラ・トラ!」の米側監督は、ベティさんの作者の息子だったんだ!と
はじめてふたつのフライシャーが結びついたのでした。

そのリチャードがディズニーから呼ばれて会いに行く場面が書かれていて、
ここは敵の陣地だ、と「ミッキーマウス通り」を抜けるくだりはちょっと胸を打つ。
ちなみにそれは「海底二万哩」の監督依頼なのだった。

絶頂にあったマックスが徐々に不運にみまわれ名声も収入も失っていくのは
ぼくは巨万の富を稼ぎ出したことなんかないけど、まあ大変だなあと思う。
でもその要因である権利や契約の、不可解な成行きの肝心なところについては
「海底二万哩」「ミクロの決死圏」の映画監督らしく、割とあっさり、
突き詰めず書かれている。あるいは家族のことだからかかもしれない。
こんなことが親父の人生にあったよ、こんなこともあるんだよ、という感じで。

ポパイはぼくの子供の頃、日曜夕方のお楽しみだったので馴染み深いが、
ベティ・ブープはさすがに昔すぎて、実体験とは結びついてない。
本にはベティが、次第に肌の露出を減らされ、人気を失ったことが書かれていた。
でも1929年生まれのぼくの母は、「ベティさん」の絵を、いまでも上手く描く。
少女時代におぼえたものが、身体に入っているのだ。

マックスが最初につくったアニメーション「インク壺から (Out of the Inkwell)」シリーズ
(wikipediaでみると1918-1929年の11年間に130いくつある)の、
実写と融合して活躍するという「道化師ココ」を、ぼくはまだ見たことがない。
今ならDVDで見れるのだろう。見たい。

・・・と思っていたところ、

YouTubeで、見れた。道化師ココ、あるいは Out of the Inkwell で、いくつか。

すごいわ、これは。
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by ichirographics | 2010-10-02 13:13 |

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