カテゴリ:照応( 12 )

柵を越えて

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あふれようとする意志は

ふせぎとめる柵より

うつくしい
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by ichirographics | 2012-10-26 01:39 | 照応

ひとすじ

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ぼくからは
くっきり際立って光るすじがみえる。

自分があの物体だと想像してみる。

なにもない宙空を飛んでいて
太陽が ぼくのいるところよりはきっと眩しい。

でも自分が曳いている光はみえないだろう

自分も光になっているのは。



ぐんぐん 突っ切って いけ
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by ichirographics | 2012-10-24 19:42 | 照応

きもちが、ひとつ

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まるいきもちにそって
切り出して

ひとつ ひとつ、
はっつけて ならべて

赤と 黄と 白の
絵具をまぜて
ぬって それから

そうっとはがして

そうしたら 白いぼたんと
それから おんなじかたちの

きもちが

ひとつずつ

ひとつ


ひとつ
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by ichirographics | 2012-08-07 13:26 | 照応

ボートの三人の行方

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瀬戸際に立って、世界の涯てをのぞきこむ。
おい、おい、おい、と軽便屋のおかみさんが声をかけ、
三人はボートに乗り込み、夜の中をこぎだした。

こわれかけた物語の、サウンドトラックは
Hedningarna/Veli と、
Kanran/Så Segla VI Ut!

るう、るう・・・

と、僕が北国からもどってくると
瀬戸際はすっかり、埋められていたよ。

ボートの三人の行方はしれず。
世界の涯てはどこへいった?
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by ichirographics | 2012-06-29 23:39 | 照応

思慮ぶかく

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朝、橋を歩いていてふと、見つけた。

運河のほとり、立っている。

くびすじをのばして
じっと見ている。

対岸を、ちょうど僕がむかう方を
もの思うように。

いや、何か思っているんだかわからないけれど

お手本にして、ぼくもあんなふうに思慮ぶかくあろう、と

きょう一日、
アオサギの、少なくとも立ち姿だけは
こころに刻まれてあったのでした。
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by ichirographics | 2012-05-29 19:42 | 照応

いっぽ いっせき

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ひょいっ ひょいー
がりがり ぎちぎち

オドロク眼の、一瞬一瞬の動きは旅だ。
旅の軌跡が指をつうじた線となって刻まれる。

土と火が出会う奇跡からうまれた恵みの
ひとつ、ふたつ。

その生みの親である濵田啓塑さんに
この石ころノヨウナモノたちの名前ヲツケテクダサイ
 と
ふいに責任重大な頼みごとをされました。
思わぬこと、
見に行って、出会って、購入させてもらっただけなのに

名付親になってしまいました。とさ。


で、名前は





即石 です。

footsteps すなわち、石
そく、石。で

そくせき とよみます。
どうぞヨロシク。
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by ichirographics | 2012-04-02 06:55 | 照応

Whoa.

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1998年。“Whoa.”のキャッチコピーのもと、
「ただ新しいだけじゃない、全く新しいアイデアのコンピュータ」を紹介する
Appleサイトのトップページを見たときの驚きを、忘れない。
紹介文はこう続いていた。「そのideaの名前は、iMac」

この文が頭の中を打って、鳴ったのは、iDEATH!

リチャード・ブローティガンが1964年に書いた
“In Watermelon Sugar”(「西瓜糖の日々」)は
不思議だけど身になじんだ感覚で、コミューンのような場で
過去と現在の生活が淡々と「展開」する物語だ。
暮らす人たちは隠遁者のようで、でも各々の役割をしっかり持っていて
だけどその叙述は詩のようなので、話の脈絡はほとんど消えそうだ。
そこには命名があって、仕事があって、歴史もある。
過ぎ去ったはずの虎の時代からやってきた暴力との接触もある。
非現実的な展開だけど、そういうところは物語が書かれた
1964年という時代の感覚を凝縮しているようにも思えた。
極端な、理想と、死と。

そこで暮らす人から、いつも見えているのが「アイデス」で、
それは美しい存在。
そこでは太陽が毎日違った色で輝く。

たしかそんな話だった。
というくらい、長いこと読んでないけど。

僕が訳もわからずに買った、このペーパーバックの
とても気になる青は、この98年にはボンダイブルーと呼ばれた色と同じ。
スティーブ・ジョブズも、ブローティガンの子供なんだとわかった。
それで、興奮したのだった。

Macは、技術者の産物じゃない。
それはビートルズのサージャント・ペパーのようなもので
世界を変えるためのものだったのだと思う。

スティーブ。会ったことはないけれど。
君は僕らの内部に、確実にかかわったね。

僕と同じ1955年生まれで、先を行ったね。

・・・・・

とにかく、トラの時代は終わって、ヒョウ、ライオン…
猛獣がぜんぶ、去ったあとは…

鱒の時代があるのかな。
西瓜糖のときは、来るのかな。

答えが、先を行ってしまった。
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by ichirographics | 2011-10-06 20:58 | 照応

残り雪

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おとといの雪が、駅へつづく商店街のそこかしこにも。
草土に残っているのはきれいなままだ。

日曜出勤。平日の仕事にやっと追いつく感じ。
夕方、事務所を出て帰りみち、
高島屋の「東大寺本坊襖絵完成記念 小泉淳作展」を見にいく。
蓮。桜。日曜美術館で見たのと比較している自分に気づく。
テレビの映像をなぞっている。せっかく実物の前にいるのに。
変な感じ。
この襖が、じっさい建具として桟に嵌まって、部屋を囲んでいる状況を想像してみる。
だけど、ぜんぜんうまくいかない。東大寺は忘れることに。

「奥伊豆風景」「雨後」など、ちょっと前の絵が、ごつごつして、
民話的なものがあって、ほっとする。やっと人が、見えてきた感じ。
「岩木山」。冠雪した山頂の際だちと、麓の暗みに沈む山里との対比が
ずうっと見てても、離れてみても、魅力的だ。
これと、「白山残照」という大きな絵が、ベンチをはさんで
だいたい対角線上にあって、座って、距離をとって、交互にみる。

今まで美術館のベンチは、歩き疲れた老人のためのものだと思ってたけれど。
これは…ぜいたくな時間の使い方かも。

大根の葉、墨蕪図、筍…。野菜を描いた静物画がある。
かぶらの先っぽの細い細いひげが、さっきみた山塊の、大地の皺とおなじだと思う。
それがちょっとユーモアがあるようで、面白いSFを読んでるようで。
こういうのを一生懸命、たんねんに描いていることも思う。
ひとつの生き物のなかに、宇宙がひろがる。

一階おりて、美術画廊の「小泉淳作展」も見る。
「シーラカンス」などやっぱり気さくな諧謔に出会う。雲中の龍。浮かぶ茄子。
ここは市場だ。ひとつひとつに値段がついている。成約を取りつけようとする社員は、
でも、僕には声をかけてこない。


展覧会と、売り場と。
近くから。部屋の反対側の遠くから。見たいのは何度も。
絵を、色んなふうに見て。何にも買わずに、ただ見て。
頭に残ったのは、岩木山の白い残雪。
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by ichirographics | 2011-02-14 00:19 | 照応

今年の荷物

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今週で、2010年も終わり
今年やることは一応ぜんぶ、やって。

古いカレンダーを外して 新しいのにかけかえる前に
何か残してるものはないかな。

し忘れたことはもう、ないかな。



忘れものは、ないですか?
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by ichirographics | 2010-12-27 10:54 | 照応

雲が流れて

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白い雲が層をなして
いちばん地面に近いほうのかたまりが滑るように流れて
先を流れていた雲を追い抜いていく。
上のほうでは綿のような雲が細くちぎれて
形がどんどん変わって。
べつの高さの雲の動きがかさなると
日陰と日なたが入れ替わる。

きのうまで、日中じりじりと汗たらしていたのが、
風が吹くことで僕も動くスピードに弾みがつくみたい
でもどこへ向かって?
正直あつさで頭がぼうっとなってたので
さわやかに駆け抜ける状況をイメージする余裕がなかった。

そういう意味で、煮詰まりを吹き飛ばしてくれる風。
でもこれは暴風を、水害をもたらす台風の前触れ
ひどいことにならないように。
少なくとも、最後に大雨が降った7月以来
異常に干上がった地方に恵みをもたらしますように


そして、さあぼくはどこへ向かっていこう。
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by ichirographics | 2010-09-07 11:51 | 照応