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カテゴリ:記憶( 10 )

33年目の2月1日

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  今日は事務所の33回目の誕生日。
  1984年の2月は、大阪にはめずらしい大雪で、
  ゲレンデに向かうザクザク道みたいな四ツ橋筋を、
  打合せのために本町から肥後橋まで、
  苦労しながら歩いたのを覚えています。
  きょうはおだやかな曇り空。
  ともかく無事にやってきたことに感謝しながら、
  たんたんと過ごします。





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by ichirographics | 2017-02-01 20:29 | 記憶

百年の場

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百年前の空という展覧会を、友人と見に行く。
白い空間に、3人の画家がひとり1点、で思い切りよく3点の絵。それをみる。
それぞれ、浮かびあがるように伝わってくるものを感じるままに、みつめる。
この、スケッチがあるんですよ。と、ギャラリーの方に教わって
隣の部屋の扉をあけると、百年前の画家の絵に対峙して、あらたな絵を
つくり出すという行為の、意味が、あきらかになる。
絵を受容して、いったん自分の内部で分解して、つくる。
そのプロセスに、感動する。

5階にあるそのギャラリーの窓から、向かいの家が見おろせる。
古い家の周りで職人が、丸太で足場を組み始めている。
地上におりたぼくらはその家の前に立つ。
ギャラリーに入る時には気に留めなかった。家は取り壊されるのだ。

まわりは植木鉢やプランターの植栽に囲まれ
蔦が絡まってモミジや竹やいろいろな木が生い茂るここは
長い年月、寿司屋だった家屋だ。
とはいっても、僕は店に足を踏み入れたことはない。
もともと朽ちた風情だったこの店で、大阪寿司を味わうのはどんなだったろう。
近いうち切り捨てられる運命にある蔦の葉の、生き生きとした緑を見て思う。
建屋はそのつど建て替えられながら続いただろう、大正創業のここも
百年の時をみてきた家なのだ。


*  *  *  *  *

worldmaking ”100年前の空”は7/27まで開催中だそうです。
大阪市西区京町堀1-13-2 藤原ビル5F
2kw gallery
http://www.2kwgallery.com/2kwGal_crrnt.html
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by ichirographics | 2013-07-24 12:36 | 記憶

おじいちゃんの映画、叔父叔母の映画

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実家から妹とふたり、川に沿ってすこし歩いて美術館へ。
すっかり夏。振り向けば甲山に入道雲。
見たのは古い映画のポスター展。

「華やかなサイレント映画は幕を閉じ、時代はトーキーへ…」という
字幕ではじまる東和25周年記念の古いフィルムがビデオ上映されている。
ドイツ・ウーファ社の「制服の処女」「ジークフリート」「会議は踊る」、
フランス映画は「女だけの都」「自由を我等に」…
出てくる1930年代からのヨーロッパ映画は、おじいちゃんの世代のもの。
ぼくらはおなじみ「ペペ・ル・モコ」でようやく
---パパがしびれたシーン。

展示されているのは、最初期のはB3より少し大きめのポスター。
映画史に残っているようなもの以外は、聞いたことがある程度か、
もう題名にもぴんとこない、分からないもの。
だけどその頃のポスターが、とりわけ大胆で。
スタアの顔、シーン、スタッフ名、コピー、
手描き原画を、エンピツの下書き線もそのまま製版していて。
軽やかなリボンのような、タイトル処理にに工夫があって。

四六半裁を縦に二枚継いだ、細長いのは
これは劇場の入口、スチールのウインドウの横に立ってたりする
看板のようなポスターのような?

「追憶の映画ポスター展」というサブタイトルがあって
でも、実際にこれらを追憶できるのは…80代も後半?
一部ぼくらはDVDを入手はできても当時の空気はとらえようがない。
有名なものならまだしも忘れられた映画は。
それらの映画を、そしてそれらを夢中で見に行った人々の思い出を、悼む。

中・後期のものは、叔母さんたちが買っていた
「映画の友」誌にあった広告として見覚えがある。
写真じゃなくて。この、絵のタッチ。
ジェラール・フィリップの颯爽。
上の叔母さんが当時好きだったジャン・マレー。

その1950年代のポスターは、こうして時系列に沿って展示されると
どうしても古いものとくらべて、翳りが、ある。

彼のポスターが、生き生きしていたのは、フェデー、クレール、デュビビエ、
オータン=ララ、カルネらが活躍していた時代の映画。
かれらの映画は、ヌーヴェル・ヴァーグとりわけトリュフォーによって
「おじさんの映画」として揶揄・否定されて、息の根を、止められた。

そのトリュフォーの「大人は判ってくれない」のポスターが、ある。
初期のもののように大きくとった空きスペースの質感に憂愁がある。
野口久光のポスターといえば、これだ。

ジャズ、ミュージカル評論家。東和宣伝部の社員。というより野口久光。
かれの時代の快活と、輸入文化へのあこがれを、思う。

ショップで、「禁じられた遊び」と「大人は判ってくれない」の
葉書を買って帰った。


西宮市大谷記念美術館「野口久光 シネマ・グラフィックス」展
7月31日(日) まで。
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by ichirographics | 2011-06-26 11:07 | 記憶

雪ポスト

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海が見たことがないというので、しょくぱんまんが背中に乗せて
飛んで連れてってあげたら、太陽にあたって具合が悪くなって、
ユッキーは…溶け出したんだっけ。
つづきを忘れてしまったな。
子供が小さいとき、あんなに何度も見たのに。
そんなユッキーのことをちょっと、思い出しました。
みんながつかう郵便ポストに、こんなことするなんて


・・・素敵です。


わが町に、雪ふたたび。
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by ichirographics | 2011-02-15 00:11 | 記憶

変わっていく

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昨日まではあった。
今日はない。

ここが何だったか、いまだからそりゃあ覚えてる。
でもずっとずっと先になって、思い出せるか。
こうして気づいたから覚えていられるか。
どうか。

利用してないからそんなに思い入れはない。
ガソリンスタンドだ。

車が舗道をふさいでたからスタンドの中を横切った
その場所は、いまは囲いで通れない。
これからも通れるかな。どうかな。

車を誘導するあかいエネオスのお兄さんたちの声のあかるい張り。
それは覚えてる。いまは。
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by ichirographics | 2011-01-27 12:01 | 記憶

キンモクセイ

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こんな小さな粒のような花が

あたり一帯をひたす

一年にいちど

匂いに呼び起される 思いがある
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by ichirographics | 2010-10-06 12:09 | 記憶

秋空のはじまり

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子供の運動会。
もらったプリントで出番、位置を確かめて、遠くに目を凝らして。
1年生はかわいくて高学年のリレーは燃えて。
見ることだけのために広いグラウンドで日中過ごす、
しかもこの地べたでシートをひろげてしゃがんで見る、というのも
ふつう他にない、やっぱり特別な日。
ふたりの子供は小学校で重なることはないので、ちょうど12年間
こうやってグラウンドで、じりじり、太陽を浴びながら
初秋の日を過ごすんだなあ、と思ったり。
あと2年なんだと、ふと思ったり。

これが真夏だったらそんな感慨どころじゃないだろうな。
見る以外なにもすることはないので、何もないときは広い空を見上げて
朝のはじまりから夕方の閉会式まで、変化していく雲を見ていた。

生まれては去っていくかたちはすっかり秋のもの。
時おり首すじを風が涼しくて生きかえる。
日焼けだけはしっかり夏の、お土産にもらった。
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by ichirographics | 2010-09-27 08:09 | 記憶

あと二日

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読書感想文が書き終わらなくて、学校が始まってもまだ書いてて
文字量がどんどん増えて 原稿用紙では足りなくなって
5ミリ升のグラフ用紙に書き継いで
期限はとうにすぎた、9月の半ば過ぎにやっと仕上がって、提出したら
「こんな生徒がいます。がんばって課題に応えて、わたしはうれしい」と
先生は、僕の、遅れた原稿を、学年中にみせて廻られたのだった。

変な子だ、とも、締切すぎたからだめだとも、言われなかったな
でもまあへんな高校生だったなあ。

…と、ふとよみがえる、何十年か前の夏休みの終わりの記憶。

グラフィック展締切まであと二日。 ふう。
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by ichirographics | 2010-08-30 12:02 | 記憶

再訪

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小学四年の秋に転校して以来いちども訪れていなかった町に、
お茶会の誘いがあって、帰ってきた。
そこで僕は4歳から10歳になる前まで、昭和30年代の後半を過ごした。
学校の友達ともそれっきり、いちども訪れなかったのは
思い出が鮮明で、それが変わってしまっているのを見たくない
変わっているのを見るのがこわい気持ちが強かったから。

高1の娘とふたり、駅をおりてバス道に沿って15分ほど行く間は
ぽつんぽつんと古いたたずまいの建築は残っているものの
日常の行動範囲の外なので子供の頃見た強い記憶はない。
それが町へつうじる三叉路にたったとたん、変わった。

地形は記憶のままで、夢にでてくる町の姿とシンクロした。
学校へつうじる坂道の起点に立つ。すると、後ろを振り向けばここに
石段の降り口が、と思ったままにそれはある。
小学校は、木造だったのがコンクリートに変わっているけどそのまま。
向かいの、雪合戦をした空き地も公園として残っている。
坂の勾配は、大人の今から、子供だった視点に下げれば甦る。
通学路を遡り、記憶の中心に近づくにつれ、どきどきしてくる。
変わっていない。
遠い夏の終わり、赤とんぼが集まって柱になっていた交差点で
住んでいた団地の棟を眺める。

町は、人が住んでいるかぎりは壊れない。
僕が引っ越して、出て行ったあとの44年間、当たり前のことだけど
町は住人とともに呼吸し、生き続けていたのだ。
いっぽう昔の僕の家は、もちろん他の人が住んでいて僕の家ではない。
だけど遊び場や、曲り角や小さな階段や草の斜面は僕のなかで
僕のものになっているのとおなじものだ。そう思うと混乱する。

僕の家族がここに越してきた直後にできたショッピングセンターは
場所はそのままで新しく立て替えられて、ブラモデルのボートを浮かべて
競争した、噴水があった前庭のところには小さな複合モールが出来ている。
当時すでに古びたショッピングモールは取り壊されて美容室、バイク屋に。
その前につくられたせせらぎで小さな子供が水浴びをしている。
新しい水場に、新しい子供たち。

通った幼稚園は図書館に変わって、その図書館もすでに古びている。
ここは44年の歳月がわかる。
図書館の(幼稚園の)横の階段を上って公園に出る。
草ぼうぼうで、古びたベンチがある。
かつて造成されて出来立てだった公園。

・・・・・・・・・

お茶の先生は、偶然僕の幼稚園のふたつ、先輩だ。
茶会は、娘も、僕もはじめて。夏は通例すくないということだが
思ったよりずっと本格的な席が用意されていてどぎまぎ、恐縮する。
入口の一幅、湖面に映る松林の小さな墨絵で暗示された水の主題は、
茶室の美事な藍染の瀧へとつながる。それは純粋にグラフィックな感動だ。
どてどてとお邪魔した初心者の僕らを、清冽な、水をめぐる
異次元の旅へと連れていってくれる。涼の世界。

汗だくだった僕たちは、ひそやかな茶事に癒されて
先生のお宅を辞去したのがすでに夜の9時近く、辺りは暗い。
公園の一辺を曲がる見当が狂い、帰り道を間違えた。
こんなとこ通らなかったよ、と見知らぬ夜道でふたり。
新しいマンションの横を、心細くなってとぼとぼ、坂を下りると
コンビニがあった。店員さんに教わった方向へ道を辿っていく。
するとまた古い団地があらわれて、
アッと娘が、「幼稚園だった図書館のところや」。
ここに出るのかァ!と二人しての発見。

ここからは二人、暗い、でももう知った道を、歩く。
娘はお父さんの夢の中を歩いてるみたい、と言う。
夜の通学路を歩き、学校を過ぎ、こんどはバス道でなく
長い石段を降りて、裏道をたどる。

駅に着いて、コンビニで買ったミネラルウォーターの
ホームの灯りですかして底にわずかに光った水を飲み干す。

来ようと思えば大人となった今、いつでも来れたかもしれない町。
小さいけど、大きな旅。それは戻る旅だった。
ひとつの円環を閉じた。ということは生まれ変わるんだと思う。
また新しいサイクルが始まるのか、と思う。
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by ichirographics | 2010-08-09 02:08 | 記憶

パリッシュ・ブルーを想い出して

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大きな雲が夕陽に染まっていました。あまりのオレンジ色に驚きました。
空の青との対比があざやかで、
このオレンジが補色となって、パリッシュの空の青がひきたち
より深みを増していたことに思いあたりました。
Maxfield Parrish、1870-1966。

オレンジの雲の際から白く、飛行機雲が突き抜ける。
小さい、小さいぎらりと光る直線がのびて。
上弦の月が浮かぶ
梅雨明けの夕空。
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by ichirographics | 2010-07-18 13:48 | 記憶