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おじいちゃんの映画、叔父叔母の映画

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実家から妹とふたり、川に沿ってすこし歩いて美術館へ。
すっかり夏。振り向けば甲山に入道雲。
見たのは古い映画のポスター展。

「華やかなサイレント映画は幕を閉じ、時代はトーキーへ…」という
字幕ではじまる東和25周年記念の古いフィルムがビデオ上映されている。
ドイツ・ウーファ社の「制服の処女」「ジークフリート」「会議は踊る」、
フランス映画は「女だけの都」「自由を我等に」…
出てくる1930年代からのヨーロッパ映画は、おじいちゃんの世代のもの。
ぼくらはおなじみ「ペペ・ル・モコ」でようやく
---パパがしびれたシーン。

展示されているのは、最初期のはB3より少し大きめのポスター。
映画史に残っているようなもの以外は、聞いたことがある程度か、
もう題名にもぴんとこない、分からないもの。
だけどその頃のポスターが、とりわけ大胆で。
スタアの顔、シーン、スタッフ名、コピー、
手描き原画を、エンピツの下書き線もそのまま製版していて。
軽やかなリボンのような、タイトル処理にに工夫があって。

四六半裁を縦に二枚継いだ、細長いのは
これは劇場の入口、スチールのウインドウの横に立ってたりする
看板のようなポスターのような?

「追憶の映画ポスター展」というサブタイトルがあって
でも、実際にこれらを追憶できるのは…80代も後半?
一部ぼくらはDVDを入手はできても当時の空気はとらえようがない。
有名なものならまだしも忘れられた映画は。
それらの映画を、そしてそれらを夢中で見に行った人々の思い出を、悼む。

中・後期のものは、叔母さんたちが買っていた
「映画の友」誌にあった広告として見覚えがある。
写真じゃなくて。この、絵のタッチ。
ジェラール・フィリップの颯爽。
上の叔母さんが当時好きだったジャン・マレー。

その1950年代のポスターは、こうして時系列に沿って展示されると
どうしても古いものとくらべて、翳りが、ある。

彼のポスターが、生き生きしていたのは、フェデー、クレール、デュビビエ、
オータン=ララ、カルネらが活躍していた時代の映画。
かれらの映画は、ヌーヴェル・ヴァーグとりわけトリュフォーによって
「おじさんの映画」として揶揄・否定されて、息の根を、止められた。

そのトリュフォーの「大人は判ってくれない」のポスターが、ある。
初期のもののように大きくとった空きスペースの質感に憂愁がある。
野口久光のポスターといえば、これだ。

ジャズ、ミュージカル評論家。東和宣伝部の社員。というより野口久光。
かれの時代の快活と、輸入文化へのあこがれを、思う。

ショップで、「禁じられた遊び」と「大人は判ってくれない」の
葉書を買って帰った。


西宮市大谷記念美術館「野口久光 シネマ・グラフィックス」展
7月31日(日) まで。

by ichirographics | 2011-06-26 11:07 | 記憶

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