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ちょっと横道に

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赤瀬川原平の「奥の横道」(日本経済新聞社、1999年)を古本で買った。
期待した通り、今読んでも、面白かった。

いまブログが、もうそれも古いとかいうことになってるけど
この本の、エッセイというのでもない姿は、いまのブログを先取りしていて
この人がそうっと用意してくれた道を、ぼくらはそうと知らずに
歩いているのではないか、と思ってしまう。
ただブログを予感させるといっても、この本の
本文用紙にスミ1色刷りという制約(初出は新聞連載)のなかにあっても
写真の解像力、あるいは語る力はさすがに、雄弁だ。

いまはなんだか老人力の、いっぷう変わった癒し系のおじさんだが
その昔赤瀬川原平といえば、正体不明のラジカルな前衛美術家で、
千円札事件や櫻画報の仕事で僕らは知っている。
結果的に、はたから見たらきなくさい仕事だが、それらはたぶんこの人の、
芸術をする自意識をどんどん消滅させて、手わざの痕跡どころか
宇宙まで閉じ込めてしまう不可避の道にできた産物だったんだと思う。
その、不可避の道の果てに辿りついたのが超芸術トマソン。
いや、果てというと終わったみたいだけど
その後のライカ(!弟がはまった。出てこれない)、新解さん、
文学者尾辻克彦として…と色々、考えたらすごい。こんな人他にいない。
突きつめたあとの抜け方が、すごいと思う。それもどこかトボけて、天衣無縫で。

頭脳というよりは目わざのスゴさをつうじて、
意識を拡張してくれているように、この本を読んで改めて思う。

この人のいまのところ最大の功績は、やはりトマソンだと思う。
作者がいないトマソンは、見る側に属している。
身も蓋もない言い方だけど、言ってしまえば、トマソンは、ただ
現実の裂け目を見つけようとする気持ちの、あらわれだ。
あるいは気持ちのあはれ。
見る者にしか存在しないからだ。
それらは凍りついた手わざ。おきざりにされた過去の時間。

この本の写真はゆったりした気分も含んだもので、でも、じっとみていると
叶えられなかった祈り… そんな言葉が浮かんでくる。


印象に残った文…
「それにしても人間というものは、その時代その時代のマインドコントロールに
かかって生きているもんだとつくづく思う。過去を振り返るとそのことがよくわかる。
ということは、いま現在はどんなマインドコントロールにかかっているのか、
将来振り返ってみるのが非常に楽しみになってくる。」


高松次郎の訃報についての文章に添えられた、明るい窓に向いた机上の原稿用紙と
筆記具、消しゴムの、ひっそりとした祭壇のようなたたずまいの写真が心を打つ。
生きた時間を切り取る写真は、祈りのためのものかもしれない、と思う。


「とにかくちょっと脇にそれさえすれば、旅はどこにでも待ち構えているものらしい。」
…すてきな言葉。
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by ichirographics | 2011-03-09 02:10 |

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